2020年07月09日

東洋ショー劇場

東洋ショー劇場は、大阪府大阪市北区池田町にあるストリップ劇場。客席数87席。1964年2月1日開館。
○歴史
1964年2月1日に開館した。『週刊実話』は地元風俗誌記者の話として、「1985年に営業を開始した」としている。経営は東洋興業。同じく東洋興業の経営により、往時は仙台市、松戸市、川崎市、宇都宮市、美作町(現美作市)、北九州市、熊本市、菊池市、鹿児島市など日本中に同名の劇場が多数存在していたが、現在は同劇場のみが存在している。
○特色
ステージ、観客席の広さ、照明・音響などの設備面、また所属踊り子数などいずれも西日本最大級を誇っており、名実ともにストリップ劇場の西の雄であると共に、ロック座、道頓堀劇場などと並びストリップ業界大手の一つである。ロック座と同様にアダルトビデオ女優経験者、及び現役アダルトビデオ女優の踊り子が複数在籍していることでも知られる。
○交通アクセス?
JR西日本大阪環状線天満駅から徒歩約5分
Osaka Metro堺筋線・谷町線・阪急千里線天神橋筋六丁目駅から徒歩約6分
○所在地
〒530-0033大阪市北区池田町11-1
有限会社東洋ショー劇場という会社が運営している。









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2020年06月11日

北新地

北新地は、大阪府大阪市北区の歓楽街。また、本項目では北区の町名である曽根崎新地についても述べる。現行行政地名は曾根崎新地一丁目及び曾根崎新地二丁目。
〇沿革
1685年(貞享2年)に開始された河村瑞賢による堂島川・曽根崎川の改修に伴って堂島で新地開発が行われ、1688年(元禄元年)に堂島新地が誕生した。堂島新地は大坂城下の北端、または、船場の北に位置することから「北の遊里」と呼ばれた。1697年(元禄10年)には、それまで豪商淀屋の邸宅前、淀屋橋南詰の路上で開かれていた米市が堂島新地で開かれるようになった。 西成郡曾根崎村領内となる曽根崎川の北岸でも新地開発が行われ、1708年(宝永5年)に曾根崎新地が誕生し、大坂三郷に編入された。一方、堂島新地は「商いの場」へと変わり始め、1730年(享保15年)に堂島米会所が開設される頃には遊里のほとんどが曾根崎新地へ移転した。 以降、曾根崎新地は「北の遊里」「北の色里」「北の新地」と呼ばれ、米商らの遊興場所として繁栄した。近松門左衛門の『心中天網島』に登場する小春は曾根崎新地の遊女である。また、諸藩の蔵屋敷が立ち並ぶ中之島・堂島から近いこともあって、大坂では珍しい武家の来客も多く、もっぱら町衆で賑ったミナミの南地五花街とは当時から性格を異にする街であった。 1909年(明治42年)に天満の空心町から福島付近にまで燃え広がった北の大火によって全焼。大量に出た瓦礫で曽根崎川の堂島掘割より上流側が埋め立てられ、川跡の街区ができた。
〇範囲
大阪府大阪市北区曾根崎新地1丁目・堂島1丁目・堂島浜1丁目
北端:曽根崎通(国道2号)
西端:四つ橋筋
東端:御堂筋(国道25号)
南端:堂島浜通り
最寄り駅はJR東西線 北新地駅であるが、飲食街の利用者の多くがタクシーを利用する。そのため、高級クラブが開店する20時前後はエリア内がタクシーで溢れかえることが多い。なお、22時から1時まで上記の道路に囲まれた内側への自動車の乗り入れが禁止され、周囲の道路も駐停車が禁止される。
〇経済
・主な業種
高級クラブ、ラウンジ、スナック、バー、小料理屋が中心であり、庶民性は一部のチェーン展開な飲食店を除いてほとんどなく、接待需要や著名人需要などに支えられているといえる。なお、北新地でいうラウンジとは独特かつ明確な定義があるものであり、クラブ(5万円以上など高額だがホステスが客の席に座って接客できる)とスナック(1万円程度などだが店員が客席に着席して接客できない業種)の中間のサービス(ラウンジは客席同席での接客を受けられるため、さしずめ、高級ではないクラブを指す。)を中級料金(2万円〜3万円程度など)で提供する業種を指す。北新地以外の歓楽街ではラウンジの定義がかなり曖昧である。 バブル崩壊、デフレ、リーマンショックなどを経て、2010年現在では、ガールズバー、ポールダンスバー、1時間2000円飲み放題歌い放題のカラオケラウンジ、新世界 (大阪)の串カツ店など、カジュアルな店舗も進出している。 地域の業種が変化するにつれ、ガールズバーなどの客引き行為やスカウトが増加したため、大阪市は北新地一帯を2018年11月より大阪市客引き行為等の適正化に関する条例に基づく重点地区に指定。客引き行為などに対して対抗措置を打ち出した。







posted by 副業探偵 at 14:02| 大阪 ☔| 地下経済(風俗) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月17日

ホストクラブ城

別にホストクラブの紹介をする意味は特にないのですが偶然見つけたので動画を撮影しました。「DIAMOND GROUP」ではホストクラブ城だけでなく「GRAN(大阪府大阪市北区曽根崎2-14-10
梅田ロイヤルビル203)」「PLATINUM OSAKA(大阪府大阪市中央区東心斎橋2-6-13
日宝ナイトビル1F)」「VANQUISH(大阪市北区曽根崎1-7-20
津多家第2ビル6F)」があるようです。大阪府大阪市北区曽根崎2-14-10
梅田ロイヤルビル203が本社のようです。
大阪府大阪市北区兎我野町10-16梅一ビル4F

[ここに地図が表示されます]





posted by 副業探偵 at 13:37| 大阪 ☔| 地下経済(風俗) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

兎我野にある歓楽街

大阪市北区兎我野には歓楽街(風俗店街)がある。この地域は大阪キタの歓楽街(北新地・曾根崎・堂山・兎我野のある地域)の一角である。兎我野はもともと寺町(江戸時代に都市計画の兼ね合いで寺や神社をまとめて配置させた地域のこと)であったようである(大阪市北区天満・与力町・同心地区から兎我野の辺りまでは昔の寺町だったようです)。詳しいことは不明であるが「第二次大戦において焼けた」「周辺の環境の悪化」「伝統行事が行えなくなってきた」等の事情で郊外の方に一部の寺が移転したことや堂山地区から風俗店が進出してきたことにより歓楽街になってしまった部分があるようです。北新地にはもともと料亭が多かったこともあり料亭(料亭は風俗ではありません)以外にキャバレーの様な店が多くラブホテルやデリヘルやパチンコ屋等の店はほとんどないが、兎我野には「ラブホテル」「デリヘル」「ホストクラブ」等をはじめとする風俗色の強い店が多いのが特徴ですね。





posted by 副業探偵 at 13:33| 大阪 ☔| 地下経済(風俗) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月26日

松島遊廓

松島遊廓は、かつて大阪府大阪市西区にあった遊廓、赤線。松島新地とも呼ばれる。現在もちょんの間が存在する。


○概要

戦前と戦後で場所が異なる。戦前は現在の千代崎1・2丁目にあったが大阪大空襲で焼失。戦後は現在の本田2丁目・九条1丁目に場所を移して赤線として復活。1958年(昭和33年)の売春防止法施行以降、届出上は「料理店」となっているが、「仲居と客との自由恋愛」と称する行為が行なわれている。2018年時点で料金は30分16000円から、1日平均7人の客で、10万円ほどの売り上げが平均的であり、約8万平方メートルの敷地内に104店舗の「料理店」が存在する。


○歴史

旧広島藩士の有田徳一、新町遊廓の大垣屋、船場淀屋小路の侠客堤仁三郎が、木津川と尻無川 に挟まれた寺島の北部(現在の千代崎1・2丁目)への遊廓の開設を願い出て、大阪府知事渡辺昇より1868年(明治元年)2月に振興策として設置が許可された。 寺島の北端(現在の松島公園の北端あたり)に樹齢300年とも言われる松の大木があったことから、寺島の北端は「松が鼻」と呼ばれていた。「松島」の地名は、松が鼻と寺島の一字を取ったと言われている(『松島新地誌』松島新地組合・1958年)。寺島の木津川沿いは江戸時代から市街化され、木津川町、九条村町、寺島町が成立し、船大工の多い地域だった。その他は西成郡九条村字寺島の田地が広がっていた。翌1869年(明治2年)には上記の場所を統合して松島町が成立し、南隣の西成郡岩崎新田との境には堀川が開削され、松島遊廓が誕生した。遊廓の中心となる仲之町の目抜き通りには桜が植えられ、桜筋とも通称された。また、南端の花園町に遷座された大阪天満宮行宮の境内にも桜が植えられ、松島遊廓は桜の名所としても知られていた。このころの料金は、美醜に応じて、上等8銭、中等6銭、下等4銭に分けられていた。松島遊廓の誕生により、江戸時代から続いた新町遊廓は衰退の一途を辿ることとなり、1890年(明治23年)9月5日の大火(新町焼)で大半を焼失。一方、大阪市電第1期線の築港線(1903年開通)と第2期線の東西線(1908年開通)が松島経由で結ばれるなど、交通の便にも恵まれた松島遊廓は活況を呈した。花園橋西詰から西へ伸びる九条通(いわゆる九条新道)には商店街が発達し、昭和初期には心斎橋筋商店街に比肩するほどの賑わいを見せていた。

1869年(明治2年) 松島遊廓開設。『御免遊女街松島廓の園』によると、明治初期には遊女屋や茶屋など計270軒があり、松島橋と梅本橋に大門が設置され、東京の吉原に倣って奇麗壮観な目を驚かすような景観だった。

1871年(明治4年) 市内20ヶ所の遊所に対し茶屋渡世を禁じ、松島へ移住希望者のみ継続営業を許可する通達出される。

1872年(明治5年) 娼妓の性病検査治療のため松ガ鼻に駆黴院開設。町名を松島町・松島上之町・仲之町・高砂町・緑町・十返町(とがえりちょう)・花園町・月見町・雪見町の9町に改編。

1875年(明治8年) 大阪天満宮行宮が本田二番町より花園町へ遷座。

1876年(明治9年) 廃業者続出し一時廃れた。

1878年(明治11年) 西南戦争後の好景気により娼妓約1000人となる。

1879年(明治12年) 松島上之町を松島町に編入、緑町を高砂町に編入、月見町・雪見町を花園町に編入し、松島町・仲之町・高砂町・十返町・花園町の5町に改編。

1881年(明治14年) 清国女性を3名雇い入れる。

1883年(明治16年) 駆黴院が性病専門病院「府立難波病院」に刷新

1884年(明治17年) 松島事件(陸軍兵士と警察官の乱闘事件)が発生。

1894年(明治27年) 娼妓約3200人。

1900年(明治33年) 娼妓の自由廃業が認められた娼妓取締規則成立により約1000人が廃業

1916年(大正5年) 娼家計267軒、娼妓4103人を数え関西第一の遊廓となる

1926年(大正15年) 松島遊郭疑獄

1938年(昭和13年) 登楼時間が制限され、午前1時までとなる

1939年(昭和14年) 午後11時以降の歌舞音楽禁止

1940年(昭和15年) 貸座敷取締規制改正により昼間の登楼禁止となる

1945年(昭和20年) 大阪大空襲により全焼

1947年(昭和22年) 九条へ場所を移し、松島新地として営業再開

1948年(昭和23年) 三業(置屋・待合・料亭)分立の制度成る

1952年(昭和27年) 尻無川の上流区間(境川運河以北)埋立。

1958年(昭和33年) 売春防止法施行により廃止 - 以後、料亭街「松島料理組合」ということになっているが、料亭の仲居との自由恋愛との名目により営業形態はそれほど変わっていない。なお、大阪府は条例でソープランドを許可していない。

2012年(平成24年)3月 女性の訴えにより悪質なスカウトと売春強制を繰り返していた経営者らが逮捕された。


○交通

Osaka Metro中央線 九条駅下車

Osaka Metro長堀鶴見緑地線 ドーム前千代崎駅下車

阪神なんば線 九条駅、ドーム前駅下車

阪神高速道路16号大阪港線 九条出口、本田入口








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