2019年09月26日

天成会

天成会は大阪府大阪市西成区山王1-15-9に本拠を置く暴力団で、六代目山口組の三次団体。上部団体は二代目倉心会。旧黒竜会。





posted by 副業探偵 at 10:43| 大阪 ☀| 暴力団関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米川組

三代目米川組は大阪府大阪市浪速区恵美須西2-4-8に本部を置く暴力団で、六代目山口組の三次団体。上部団体は三代目弘道会。





posted by 副業探偵 at 10:41| 大阪 ☀| 暴力団関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

早野会

六代目早野会は大阪府大阪市平野区喜連西2-9-13に本部を置き、大阪府大阪市平野区喜連西1-17-20に本家を置く暴力団で、六代目山口組の二次団体。





posted by 副業探偵 at 10:39| 大阪 ☀| 暴力団関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二代目宅見組

二代目宅見組は大阪府大阪市中央区千日前1-8-23宅見ビルに本部を置く任侠団体で、神戸山口組の二次団体。直参は48人。直系団体は約32団体。幹事は19人。この住所に株式会社アイレットコーポレーションという会社がある。

組織図は省略します。





posted by 副業探偵 at 10:37| 大阪 ☀| 暴力団関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小車誠会

三代目小車誠会本家は大阪府大阪市西成区太子1-8-3川口総業ビルに本部を置いた暴力団。2011年9月会長除籍に伴い解散。2015年10月15日、安岡俊蔵は、誠会を結成して、誠会会長に襲名後、神戸山口組に参画して、神戸山口組舎弟に就任した。

2019年現在株式会社川口総業という会社の法人登記はまだ残っています(活動実態は不明ですが)。







posted by 副業探偵 at 10:35| 大阪 ☀| 暴力団関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勝野組

初代勝野組は大阪府大阪市西成区山王3-5-13勝野ビルに本部を置いた暴力団。2007年5月組長引退。
◆初代勝野組組織図
組長-勝野重信(六代目山口組舎弟)
若頭-奧村 修(奥村組組長)
舎弟頭-山田久一(山田企画組長)
舎弟頭補佐-高嶋充彦(信龍会会長)
本部長-西畑 強(西畑組組長)
舎弟-金山義弘(金山組組長)
若頭補佐-中尾武憲(奥村組若頭 中尾組組長)
若頭補佐-辻 静夫(奥村組舎弟頭補佐 辻組組長)
若頭補佐-武澤直樹(武澤組組長)
若頭補佐-中村敬慎(敬心会会長)





posted by 副業探偵 at 10:33| 大阪 ☀| 暴力団関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松島遊廓

松島遊廓は、かつて大阪府大阪市西区にあった遊廓、赤線。松島新地とも呼ばれる。現在もちょんの間が存在する。


○概要

戦前と戦後で場所が異なる。戦前は現在の千代崎1・2丁目にあったが大阪大空襲で焼失。戦後は現在の本田2丁目・九条1丁目に場所を移して赤線として復活。1958年(昭和33年)の売春防止法施行以降、届出上は「料理店」となっているが、「仲居と客との自由恋愛」と称する行為が行なわれている。2018年時点で料金は30分16000円から、1日平均7人の客で、10万円ほどの売り上げが平均的であり、約8万平方メートルの敷地内に104店舗の「料理店」が存在する。


○歴史

旧広島藩士の有田徳一、新町遊廓の大垣屋、船場淀屋小路の侠客堤仁三郎が、木津川と尻無川 に挟まれた寺島の北部(現在の千代崎1・2丁目)への遊廓の開設を願い出て、大阪府知事渡辺昇より1868年(明治元年)2月に振興策として設置が許可された。 寺島の北端(現在の松島公園の北端あたり)に樹齢300年とも言われる松の大木があったことから、寺島の北端は「松が鼻」と呼ばれていた。「松島」の地名は、松が鼻と寺島の一字を取ったと言われている(『松島新地誌』松島新地組合・1958年)。寺島の木津川沿いは江戸時代から市街化され、木津川町、九条村町、寺島町が成立し、船大工の多い地域だった。その他は西成郡九条村字寺島の田地が広がっていた。翌1869年(明治2年)には上記の場所を統合して松島町が成立し、南隣の西成郡岩崎新田との境には堀川が開削され、松島遊廓が誕生した。遊廓の中心となる仲之町の目抜き通りには桜が植えられ、桜筋とも通称された。また、南端の花園町に遷座された大阪天満宮行宮の境内にも桜が植えられ、松島遊廓は桜の名所としても知られていた。このころの料金は、美醜に応じて、上等8銭、中等6銭、下等4銭に分けられていた。松島遊廓の誕生により、江戸時代から続いた新町遊廓は衰退の一途を辿ることとなり、1890年(明治23年)9月5日の大火(新町焼)で大半を焼失。一方、大阪市電第1期線の築港線(1903年開通)と第2期線の東西線(1908年開通)が松島経由で結ばれるなど、交通の便にも恵まれた松島遊廓は活況を呈した。花園橋西詰から西へ伸びる九条通(いわゆる九条新道)には商店街が発達し、昭和初期には心斎橋筋商店街に比肩するほどの賑わいを見せていた。

1869年(明治2年) 松島遊廓開設。『御免遊女街松島廓の園』によると、明治初期には遊女屋や茶屋など計270軒があり、松島橋と梅本橋に大門が設置され、東京の吉原に倣って奇麗壮観な目を驚かすような景観だった。

1871年(明治4年) 市内20ヶ所の遊所に対し茶屋渡世を禁じ、松島へ移住希望者のみ継続営業を許可する通達出される。

1872年(明治5年) 娼妓の性病検査治療のため松ガ鼻に駆黴院開設。町名を松島町・松島上之町・仲之町・高砂町・緑町・十返町(とがえりちょう)・花園町・月見町・雪見町の9町に改編。

1875年(明治8年) 大阪天満宮行宮が本田二番町より花園町へ遷座。

1876年(明治9年) 廃業者続出し一時廃れた。

1878年(明治11年) 西南戦争後の好景気により娼妓約1000人となる。

1879年(明治12年) 松島上之町を松島町に編入、緑町を高砂町に編入、月見町・雪見町を花園町に編入し、松島町・仲之町・高砂町・十返町・花園町の5町に改編。

1881年(明治14年) 清国女性を3名雇い入れる。

1883年(明治16年) 駆黴院が性病専門病院「府立難波病院」に刷新

1884年(明治17年) 松島事件(陸軍兵士と警察官の乱闘事件)が発生。

1894年(明治27年) 娼妓約3200人。

1900年(明治33年) 娼妓の自由廃業が認められた娼妓取締規則成立により約1000人が廃業

1916年(大正5年) 娼家計267軒、娼妓4103人を数え関西第一の遊廓となる

1926年(大正15年) 松島遊郭疑獄

1938年(昭和13年) 登楼時間が制限され、午前1時までとなる

1939年(昭和14年) 午後11時以降の歌舞音楽禁止

1940年(昭和15年) 貸座敷取締規制改正により昼間の登楼禁止となる

1945年(昭和20年) 大阪大空襲により全焼

1947年(昭和22年) 九条へ場所を移し、松島新地として営業再開

1948年(昭和23年) 三業(置屋・待合・料亭)分立の制度成る

1952年(昭和27年) 尻無川の上流区間(境川運河以北)埋立。

1958年(昭和33年) 売春防止法施行により廃止 - 以後、料亭街「松島料理組合」ということになっているが、料亭の仲居との自由恋愛との名目により営業形態はそれほど変わっていない。なお、大阪府は条例でソープランドを許可していない。

2012年(平成24年)3月 女性の訴えにより悪質なスカウトと売春強制を繰り返していた経営者らが逮捕された。


○交通

Osaka Metro中央線 九条駅下車

Osaka Metro長堀鶴見緑地線 ドーム前千代崎駅下車

阪神なんば線 九条駅、ドーム前駅下車

阪神高速道路16号大阪港線 九条出口、本田入口








posted by 副業探偵 at 10:30| 大阪 ☀| 地下経済(風俗) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする