2019年09月16日

ラブホテル「 ニューヨーク(現アトランティス)」302号室AV女優の女性が射殺

1999年3月22日夜、大阪市天王寺区のホテル「ニューヨーク」の客室で元AV女優里中まりあ(本名・桑畑由起子)(22)の射殺体が発見された。彼女は顔の正面から1発撃たれており、現場には短銃1丁と薬莢1個が残されていた。里中まりあは暴力団関係者との交際歴があり、事件の3日前に自宅マンションで暴行を受け車で連れ去られていたことがわかった。遺体に着衣の乱れはなく、連れの男性と口論になり殺されたらしい。同年4月17日、天王寺署捜査本部は、指定暴力団山口組系組員、寺田幸雄容疑者(50)が大阪府堺市内のホテルに潜んでいるところを発見、逮捕した。直接の容疑は銃刀法違反だった。調べに対し、この暴力団組員は事件の関与は 認めたものの、『殺すつもりはなかった。銃をかまっているうちに暴発した』と主張した。結局、この件は最高裁まで争われたが、いずれも棄却され、殺人、銃刀法違反、覚せい剤取締法違反 で懲役17年で結審した。死の真相が『偶発』であったか、『故意』であったかさておき、 彼女が歩んだ人生を通して浮かび上がるのは、『男』と『クスリ』で転んでいった見事なまでの転落ぶりである。東大阪市で不動産業を営む父親と病院勤務の母親の間に3人姉妹の次女として生まれた彼女は、幼い頃から評判の美少女だった。
『小学生の頃はクラシックバレエを習っていた。犬が好きで、友達のポメラニアンをよく散歩に連れて行っていた』(近所の人)
ところが中学に入ると、髪を茶色に染め、短いスカートをはいて煙草を吸い出した。後に本人がAVでのインタビューで語ったところによると『初体験は14歳のとき、1つ年下のジャニーズ系の後輩とした』という早熟ぶりだった。中学卒業後はトリマーの専門学校へ。ところが半年と持たず、中退。フリーターと なってミナミの繁華街などで遊び回るうち、ホスト遊びを覚え、何と17歳で大阪市内のヘルスに入店した。95年2月頃のことだった。その後、6月に大国町のイメクラに 移った彼女は『ゆうき』という源氏名で有名になり、20歳と偽って風俗誌のグラビアにも 登場するようになった。そして約1年後の96年夏、彼女はストリッパー『里中まみ』として劇場デビューする。さらに97年3月には『里中まりあ』と改名し、AVデビュー。『恥じめまして』 『奥までびしょ濡れ』『リアルFUCK!!』など、計4本の作品を残した。ところが、ストリッパーデビューした時期と前後して、急に彼女は『ワガママ』『挙動不審』 『平気で仕事をドタキャンする』といった悪評ばかりが立つようになった。
『ゆうきちゃんは絶対、シャブ食っとるで。ろれつが回ってないことがしょっちゅうあるもん』
彼女の仕事仲間からは、こんな噂が広がっていた。98年夏には劇場も引退。実質無職になったはず だが、『それまで滞納していた家賃をきっちり払ってくれるようになった』(彼女が住んでたマンションの大家) と、急に金回りは良くなった。その頃から彼女と半同棲状態になっていたのが 、くだんの暴力団組員である。『暴力を振るわれていたらしいね。でも、彼女は好きで 付き合っていたようで、『オッサン、オッサン』って呼んでは一緒にいた』(知人の風俗嬢)。ストリッパーを辞めた頃からげっそりとやせ細った彼女。自宅マンションには何人もの 暴力団組員風の男が頻繁に出入りするようになった。事件直前には『お前が言うことを聞かないからだ』と殴られる騒ぎも起きていたという。

大阪府大阪市天王寺区生玉町9-6ラブホテル「 ニューヨーク(現アトランティス)」

◎里中まりあ
里中まりあ(1977年12月15日-1999年3月22日)は、日本のAV女優。大阪府出身。本名は桑畑由紀子。
〇人物
女優としてのプロフィールには「1977年7月7日生まれ」となっていた。身長158cm。スリーサイズは83・57・86。ストリッパーとしてデビュー。芸名は「里中まみ」を名乗っていたが、「里中まりあ」に変更し、その後、アダルトビデオに出演。 1999年3月22日夜、大阪市天王寺区のラブホテル客室で、顔を正面から1発撃たれ、射殺される。21歳没。4月17日、大阪府警天王寺署捜査本部は暴力団組員の50歳の男を殺人容疑で逮捕した。






ラベル:事件
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稲川英希

稲川 英希(1976年-)は、日本のヤクザ。指定暴力団・稲川会本部長、三代目稲川一家総長。稲川会3代目会長稲川裕紘(土肥)の実子(長男)

○来歴
昭和51年(1976年)、神奈川県横浜市生まれ。私立相洋高等学校、東海大学工学部卒業。大学卒業後、イギリス留学を経て実業家になった。 しかし転身後、わずか3年、27歳で異例の稲川会本部長に抜擢。 平成18年(2006年)7月19日、京葉七熊一家五代目総長・角田吉男を稲川会四代目とする継承式が横浜市の稲川会系組事務所で行われた。 同時刻、静岡県熱海市の稲川会本家において、「五代目」を継承する儀式を執り行った。しかし、祖父であり稲川会の創設者でもある稲川会総裁稲川聖城が角田側の式に臨席したことも判り、すぐに角田と直接話し合い、角田四代目体制での一本化に合意し、分裂の危機を回避した。 平成19年(2007年)3月、引退した。





















ラベル:稲川会
posted by 副業探偵 at 17:13| 大阪 ☀| 暴力団関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする